タラゴナへの旅 2007年7月19日ー29日 −カルカッソンヌ



「カルカッソンヌを見ずして死ぬな」といわれる城塞都市です。
城壁は2重になっています。城塞部分はシテと呼ばれています。

イギリス人の友達夫妻に、「カルカッソンヌに行くのよぉ〜」と言うと、
「う〜ん、カルカッソンヌねぇ。モン・サン・ミッシェルみたいなもので、観光客が多いわよ〜」
と言われました。でも、あたし、モン・サン・ミッシェル、好きです。
叔父にも「カルカッソンヌは外から見るのがいちばんいい」と言われました。

めげないもん〜。行っちゃうもん。

ワクワクしながら、跳ね橋を渡って、城壁内へ。
これって、本物の跳ね橋よ、きゃぁ〜。

すると、中は

 

レストランとお土産屋だらけ。しかも観光客がうじゃうじゃ(私達も観光客ですけれど...)
こ、こんなはずでは...これではディズニーランドだぁ〜。
中世のロマンはどうしたのぉ〜?

ここで、カルカッソンヌについてうんちくを少々。

カルカッソンヌは昔から大西洋と地中海、中央山塊とスペインを結ぶ交通の要所でした。
紀元前122年にローマ人がこの地域を征服し、すでにあった要塞を強固にしました。
その後、西ゴート族、サラセン、フランク族、そして、封建時代にはトランカヴェル家の領土になりました。
13世紀初期、カルカッソンヌ子爵は異端のカタリ派を擁護し、領内に保護したため
法王が召集した十字軍に攻撃され、15日間に渡る籠城後、敗北しました。
カルカッソンヌは十字軍を率いていたシモン・ド・モンフォールに与えられ、
1224年にはフランス国王に譲渡されました。
その後、城壁が強化され、新しい城壁も作られますが、17世紀にそれが完成した時には
ピレネー地方の平定によって国境がもっと今のスペインよりになり、
カルカッソンヌの重要性は減少し、戦争技術が発達したので、
城壁自体も実際の役には立たない存在となっていたのです。

何が幸いになるかわからないもので、実践に役に立たず、忘れられていたことが
この、城塞都市をそのまま残すことになったようです。
19世紀になって、廃墟になっていたのが復興され、観光名所となったのでした。

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