ローヌ河の河口地域への旅 2006年12月30日-2007年1月3日 Vichy

アルルを後にして、最後の宿泊地、ヴィシーへと向かいました。
ヴィシーは3つのことで有名です。
ひとつは、炭酸を含む温泉。
もうひとつはナチスドイツの占領下にフランスの政府が置かれた場所として。
そして、最後のひとつはウチの同居人(♂)が16歳のみぎり、両親にフランス語を習いに短期留学させられ、
フランス語を学ばずに、お酒とタバコと女の子と遊ぶこと〜を覚えてしまった場所としてです(笑)。

特に3ばんめの有名なことがあったので、アルルからの帰り道にどんな町か寄ってみることにしました。

ところが、

温泉ー水を貰おうとペットボトルを用意していたのに、冬の間は閉まっていました。
残念〜と思っていたのですが、どうやらここの水は生温い炭酸水で決して美味しくないようです。
かえって、飲めなくてよかったのかも。

戦争の傷跡ーヴィシー政府は住民のユダヤ人を集めてナチスに引き渡したそうです。
集められたユダヤ人の多くはアウシュビッツに送られました。
その事実を認め、決してそれらの人々のことを忘れませんという碑が温泉の公園にありました。
平和な温泉の町にも戦争の深い傷跡があるのですね。

同居人(♂)の学校−「ここだと思うんだけど、随分変わっちゃってるなぁ〜」だそうです。

実は、ヴィシーは雨で、肌寒く、ほとんど観光しませんでした。
2枚だけ写真を載せときます。
左はサン・ブレーズ教会。古い教会にアールデコの建物をくっつけた教会です。
右は大輔&姫と散歩中に見つけた面白い建物。

 

翌日には一路パリを目指しました。いつもの写真で〆としましょ。



最後まで見ていただいて、ありがとうございました!